2022年 06月 30日
70 藤田伝三郎 邸(都島区)
太閤園淀川邸
明治時代、関西財閥の雄であった藤田伝三郎氏が、淀川の畔に約7000坪の広大な敷地に築造した本邸、西邸、東邸と豪壮を誇つ綱島御殿と呼ばれた大豪邸。唯一残された淀川邸と呼ばれる東邸は、今でも西日本一の大豪邸と言われている。
大阪駅から長い地下街を潜りJR東西線北新地駅から3つ目の大阪城北詰駅で降り改札を表に出るとすぐ藤田邸跡公園である。隣接して結婚式場とレストランの太閤園、改築中の藤田美術館がある。 今回は、太閤閣の中にある淀川邸の見学だ。元々、藤田邸跡公園と太閤園および藤田美術館は、関西財閥の雄であった藤田伝三郎氏が淀川畔に築造した「網島御殿」といわれる当時、西日本一と言われた豪勢な大邸宅があったところ。 綱島御殿は、本邸、西邸、東邸からなり、ほとんどは昭和20年(1945)の戦災によって失われてしまう。唯一東邸の『淀川邸』が昔の面影を残し、現在は藤田観光の料亭・レストランとして使用されている。
約7,000坪の広大な敷地に築かれた築山式回遊庭園では、小豆島や生駒山などから集めた自然の奇石、珍石を庭石として使用。また、由緒ある灯籠、石仏塔なども日本全国から集められている。
藤田伝三郎氏は、大阪の綱島御殿のほかに東京目白に別邸椿山荘(元は山県有朋邸)を箱根に別荘小涌園を有していた。
特筆すべき点は、親子三代にわたって収集した美術品を藤田美術館として今でも一般に公開している。収蔵品の分野は、絵画・書跡・陶磁器・彫刻・漆工・金工・染織・考古資料など多岐にわたり、その時代も古代から明治にまたがっている。うち9件が国宝に、50件が重要文化財に指定されているので、個人のコレクションでは現在では大変なものだ。昭和20年(1945)の空襲により、藤田家本邸は焼失したが、美術品等を収めていた蔵は、幸いに焼失を免れ、現在も我々が見ることができる。藤田美術館は、現在建て替え中で2023年に再開館する予定。
藤田伝三郎氏は、日本の実業家。明治時代の大阪財界の重鎮で、藤田財閥の創立者である。建設・土木、鉱山、電鉄、電力開発、金融、紡績、新聞、などの経営を手がけ、今日の多くの名門企業の前身を築いた。
藤田伝三郎氏の肖像
藤田邸の門は残され今は「藤田邸跡公園(桜之宮公園)」として大阪市民の憩いの場
太閤閣の園内見取り図
現在の太閤閣淀川邸に入り口
淀川邸は藤田伝三郎氏が息子のために明治43年(1910)から14年間にわたって建てた邸宅
玄関前の広場
こちらは庭園の入り口に佇む仁王像
玄関
玄関の唐破風は江戸時代の格式ある邸に使われ明治になって奥行きを長くし洋館の車寄せと同じ役割を果たしている
玄関内部 あがり段には畳が敷いてある
玄関から廊下は西側の部屋へ
東側の部屋に繋がる廊下
洋室がある部屋の外は中庭に 洋室は中庭に飛び出して建ててあり軒下の飾りも特徴がある
唯一の洋間「藤の間」 玄関からすぐのところに洋室を設けられたのは明治から大正にかけての広く見られたスタイル
窓は縦長な上げ下げ窓
天井は洋風のレリーフが施されている
渡り廊下の中庭
天井の低い渡り渡り廊下から別の世界に導かれる
数寄屋造りの「残月の間」 豊臣秀吉が残の月(明け方の空に残る月)が好きだったことから名をつけたという
仲居さんに邪魔にならないよう撮らせてもらった
「残月の間」から見る築山式回遊庭園
「残月の間」を庭から見る
茅葺の茶室「萩の間」 見事な茅葺屋根の部屋 茶室と思われるが客が使用中で部屋の中は撮影が出来ない
紹鷗の塔 室町時代のもの 四面に東(ぺい)南(さ)西(きりいく)北(あく)と文字がある石で積んである
約8000坪の敷地内の築山式回遊庭園は、豊かな自然と歴史の重みが息づく場所で大変立派な庭園である。平安時代に創られたとされる大伽藍礎石や、小豆島や生駒山系から運ばせた自然の奇石、由緒ある石塔や燈籠などが数多く配されて、それらを探すのも楽しみの一つである。
一番奥の部屋は6畳の茶室「大炉」池の上に張り出した部屋 こちらの部屋は当日お客が入っており見れなかった
小豆島から取り寄せた自然の石橋 江戸時代のもので西日本一の大きさだという「諸縁吉祥の橋」と名がつく
江戸時代に造られ羅春日灯篭 カルガモも見られる
藤田美術館展 奈良国立博物館で開催された 本展では、2022年春のリニューアルオープンを控える藤田美術館の名品を、奈良国立博物館 新館の全展示室を使って紹介する大規模展覧会。世界に3碗しか存在しないと言われる国宝《曜変天目茶碗》をはじめ、《玄奘三蔵絵》《両部大経感得図》《仏功徳蒔絵経箱》などの仏教美術を中心に、館外初公開を含む多彩なコレクションが一堂に会す。また、近代以降散逸の危機にあった文化財を収集し、国宝の殿堂と呼ぶにふさわしいコレクションを築いた藤田一家の功績にも焦点を当てる。(美術手帳HPより)
藤田伝三郎 邸
訪問日 令和元年(2019) 6月18日(土) 天候晴れ
見学後記 大阪訪問の3日目に太閤園を見学。大阪城北詰駅を下車するとすぐそこであるが藤田邸跡公園に入ってしまう。こちらの公園を一周したうえで、あらためて太閤園の門をくぐる。庭園は一般に開放しているので見学は可能である。建物内部は、せっかく来たついでなので豪華な食事をいただきながら見学することにした。とにかく大きい、また造りが豪華で繊細。江戸時代の殿さまの御殿のような建物である。あとで分かったことであるが、運営会社の藤田観光がこの全施設を売却するという。淀川邸も取り壊すのか庭園も取り壊すのか? 建物ファンとしては、ぜひ残しておいてもらいたいと願うばかりである。
建物データ
文化財 指定なし
建築年 明治43年(1910)
建て主 藤田伝三郎 (伝三郎の次男 徳次郎のために建てたとされ、完成は伝三郎が死去した翌年)
設 計 不明
建物構造 木造平屋建て一部2階建て
建物面積 不詳
敷地面積 約8000坪
所有者 太閤園株式会社(親会社藤田観光)
管理者 太陽園株式会社(親会社藤田観光)
営業時間 料亭・レストラン・宴会場 昼 12:00~15:00 夜 15;00~22:00
所在地 大阪府大阪市都島区綱島9-10
TEL 06-6356-1110
アクセス JR 東西線大阪城北詰駅(3 号出入口)より 徒歩 1 分
参考資料 ブログおいしい建築さんぽ (倉方俊輔さん)
藤田伝三郎 邸 終了
追記 令和3年2月13日(日)
藤田観光 大阪の宴会施設「太閤園」を売却へ コロナで財務悪化
明治時代、関西財閥の雄であった藤田伝三郎氏が、淀川の畔に約7000坪の広大な敷地に築造した本邸、西邸、東邸と豪壮を誇つ綱島御殿と呼ばれた大豪邸。唯一残された淀川邸と呼ばれる東邸は、今でも西日本一の大豪邸と言われている。
大阪駅から長い地下街を潜りJR東西線北新地駅から3つ目の大阪城北詰駅で降り改札を表に出るとすぐ藤田邸跡公園である。隣接して結婚式場とレストランの太閤園、改築中の藤田美術館がある。 今回は、太閤閣の中にある淀川邸の見学だ。元々、藤田邸跡公園と太閤園および藤田美術館は、関西財閥の雄であった藤田伝三郎氏が淀川畔に築造した「網島御殿」といわれる当時、西日本一と言われた豪勢な大邸宅があったところ。 綱島御殿は、本邸、西邸、東邸からなり、ほとんどは昭和20年(1945)の戦災によって失われてしまう。唯一東邸の『淀川邸』が昔の面影を残し、現在は藤田観光の料亭・レストランとして使用されている。
約7,000坪の広大な敷地に築かれた築山式回遊庭園では、小豆島や生駒山などから集めた自然の奇石、珍石を庭石として使用。また、由緒ある灯籠、石仏塔なども日本全国から集められている。
藤田伝三郎氏は、大阪の綱島御殿のほかに東京目白に別邸椿山荘(元は山県有朋邸)を箱根に別荘小涌園を有していた。
特筆すべき点は、親子三代にわたって収集した美術品を藤田美術館として今でも一般に公開している。収蔵品の分野は、絵画・書跡・陶磁器・彫刻・漆工・金工・染織・考古資料など多岐にわたり、その時代も古代から明治にまたがっている。うち9件が国宝に、50件が重要文化財に指定されているので、個人のコレクションでは現在では大変なものだ。昭和20年(1945)の空襲により、藤田家本邸は焼失したが、美術品等を収めていた蔵は、幸いに焼失を免れ、現在も我々が見ることができる。藤田美術館は、現在建て替え中で2023年に再開館する予定。
藤田伝三郎氏は、日本の実業家。明治時代の大阪財界の重鎮で、藤田財閥の創立者である。建設・土木、鉱山、電鉄、電力開発、金融、紡績、新聞、などの経営を手がけ、今日の多くの名門企業の前身を築いた。
藤田伝三郎氏の肖像
藤田邸の門は残され今は「藤田邸跡公園(桜之宮公園)」として大阪市民の憩いの場
太閤閣の園内見取り図
現在の太閤閣淀川邸に入り口
淀川邸は藤田伝三郎氏が息子のために明治43年(1910)から14年間にわたって建てた邸宅
玄関前の広場
こちらは庭園の入り口に佇む仁王像
玄関
玄関の唐破風は江戸時代の格式ある邸に使われ明治になって奥行きを長くし洋館の車寄せと同じ役割を果たしている
玄関内部 あがり段には畳が敷いてある
玄関から廊下は西側の部屋へ
東側の部屋に繋がる廊下
洋室がある部屋の外は中庭に 洋室は中庭に飛び出して建ててあり軒下の飾りも特徴がある
唯一の洋間「藤の間」 玄関からすぐのところに洋室を設けられたのは明治から大正にかけての広く見られたスタイル
窓は縦長な上げ下げ窓
天井は洋風のレリーフが施されている
渡り廊下の中庭
天井の低い渡り渡り廊下から別の世界に導かれる
ここからは数寄屋造りの繊細な空間が広がる
数寄屋造りの「残月の間」 豊臣秀吉が残の月(明け方の空に残る月)が好きだったことから名をつけたという
仲居さんに邪魔にならないよう撮らせてもらった
「残月の間」から見る築山式回遊庭園
「残月の間」を庭から見る
茅葺の茶室「萩の間」 見事な茅葺屋根の部屋 茶室と思われるが客が使用中で部屋の中は撮影が出来ない
紹鷗の塔 室町時代のもの 四面に東(ぺい)南(さ)西(きりいく)北(あく)と文字がある石で積んである
約8000坪の敷地内の築山式回遊庭園は、豊かな自然と歴史の重みが息づく場所で大変立派な庭園である。平安時代に創られたとされる大伽藍礎石や、小豆島や生駒山系から運ばせた自然の奇石、由緒ある石塔や燈籠などが数多く配されて、それらを探すのも楽しみの一つである。
一番奥の部屋は6畳の茶室「大炉」池の上に張り出した部屋 こちらの部屋は当日お客が入っており見れなかった
小豆島から取り寄せた自然の石橋 江戸時代のもので西日本一の大きさだという「諸縁吉祥の橋」と名がつく
江戸時代に造られ羅春日灯篭 カルガモも見られる
2022年のオープンを目指し改築中の藤田美術館 茶人・数寄者でもあった藤田伝三郎と息子の平太郎、徳次郎の3人によって収集された東洋古美術品は「藤田コレクション」として知られ、国宝指定の品もある。秘蔵せず広く世に公開したいという藤田家の願いから、昭和29(1954)年に藤田美術館を開館。
国宝9件、重要文化財53件を含む世界屈指の日本・東洋美術のコレクションを所蔵する。1954年に開館し 約2千件のコレクションは、茶道具、水墨画、墨蹟、能装束、絵巻、仏像、仏画、経典、仏教工芸、考古資料など多岐にわたり、その中には奈良にゆかりのある仏教美術が数多く含まれている。
国宝9件、重要文化財53件を含む世界屈指の日本・東洋美術のコレクションを所蔵する。1954年に開館し 約2千件のコレクションは、茶道具、水墨画、墨蹟、能装束、絵巻、仏像、仏画、経典、仏教工芸、考古資料など多岐にわたり、その中には奈良にゆかりのある仏教美術が数多く含まれている。
藤田美術館展 奈良国立博物館で開催された 本展では、2022年春のリニューアルオープンを控える藤田美術館の名品を、奈良国立博物館 新館の全展示室を使って紹介する大規模展覧会。世界に3碗しか存在しないと言われる国宝《曜変天目茶碗》をはじめ、《玄奘三蔵絵》《両部大経感得図》《仏功徳蒔絵経箱》などの仏教美術を中心に、館外初公開を含む多彩なコレクションが一堂に会す。また、近代以降散逸の危機にあった文化財を収集し、国宝の殿堂と呼ぶにふさわしいコレクションを築いた藤田一家の功績にも焦点を当てる。(美術手帳HPより)
藤田伝三郎 邸
訪問日 令和元年(2019) 6月18日(土) 天候晴れ
見学後記 大阪訪問の3日目に太閤園を見学。大阪城北詰駅を下車するとすぐそこであるが藤田邸跡公園に入ってしまう。こちらの公園を一周したうえで、あらためて太閤園の門をくぐる。庭園は一般に開放しているので見学は可能である。建物内部は、せっかく来たついでなので豪華な食事をいただきながら見学することにした。とにかく大きい、また造りが豪華で繊細。江戸時代の殿さまの御殿のような建物である。あとで分かったことであるが、運営会社の藤田観光がこの全施設を売却するという。淀川邸も取り壊すのか庭園も取り壊すのか? 建物ファンとしては、ぜひ残しておいてもらいたいと願うばかりである。
建物データ
文化財 指定なし
建築年 明治43年(1910)
建て主 藤田伝三郎 (伝三郎の次男 徳次郎のために建てたとされ、完成は伝三郎が死去した翌年)
設 計 不明
建物構造 木造平屋建て一部2階建て
建物面積 不詳
敷地面積 約8000坪
所有者 太閤園株式会社(親会社藤田観光)
管理者 太陽園株式会社(親会社藤田観光)
営業時間 料亭・レストラン・宴会場 昼 12:00~15:00 夜 15;00~22:00
所在地 大阪府大阪市都島区綱島9-10
TEL 06-6356-1110
アクセス JR 東西線大阪城北詰駅(3 号出入口)より 徒歩 1 分
参考資料 ブログおいしい建築さんぽ (倉方俊輔さん)
藤田伝三郎 邸 終了
追記 令和3年2月13日(日)
藤田観光 大阪の宴会施設「太閤園」を売却へ コロナで財務悪化
「藤田観光」は、新型コロナウイルスの影響で財務が悪化したことから、大阪市にある宴会施設の「太閤園」を売却し、ことし6月末で営業を終了することを明らかにした。「藤田観光」は最終的な損益が過去最大の224億円の赤字となった。
財務の改善に向けて、大阪市にある宴会施設「太閤園」の土地と宴会場やレストランなどの施設を売却し、ことし6月末で営業を終了することとした。売却先や売却額は明らかにしていないが、売却に伴う特別利益としておよそ329億円を計上して、財務を改善させる方針。
大阪城の北側にある「太閤園」は1959年に開業し、広さおよそ8000坪の庭園に建物が築100年を超える料亭のほか、結婚式場や宴会場があり、おととしのG20大阪サミットでは、閣僚会合の会場として使われた。(以上ネットニュースから抜粋)
2021年5月7日 朝日新聞デジタルニュース(ネット)から
経営難の藤田観光が3月に創価学会へ売却した老舗宴会場「太閤園」について、跡地に講堂の建設が計画されていることが、関係者への取材で分かった。創価学会が活動拠点にする予定で、全国有数の規模になるという。
財務の改善に向けて、大阪市にある宴会施設「太閤園」の土地と宴会場やレストランなどの施設を売却し、ことし6月末で営業を終了することとした。売却先や売却額は明らかにしていないが、売却に伴う特別利益としておよそ329億円を計上して、財務を改善させる方針。
大阪城の北側にある「太閤園」は1959年に開業し、広さおよそ8000坪の庭園に建物が築100年を超える料亭のほか、結婚式場や宴会場があり、おととしのG20大阪サミットでは、閣僚会合の会場として使われた。(以上ネットニュースから抜粋)
2021年5月7日 朝日新聞デジタルニュース(ネット)から
経営難の藤田観光が3月に創価学会へ売却した老舗宴会場「太閤園」について、跡地に講堂の建設が計画されていることが、関係者への取材で分かった。創価学会が活動拠点にする予定で、全国有数の規模になるという。
by ooazaisizawa10564
| 2022-06-30 13:41
| 大阪府
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